悲劇
『オイディプス王』
みなさんは、なんとも嫌な経験をしたことはありますか。私は、中学生のころ、塾でテストを受けているときにシーンとした教室で「ぷぅ」とおならの音が響いたのを覚えています。
大なり小なり、「悲劇だ!」と感じた経験はあると思いますが、オイディプス王の悲劇に比べると、全てが小さく感じられるのではないでしょうか。
齋藤孝さんの『読書する者だけがたどり着ける場所』で紹介されていた本です。
紀元前にソポクレスによって書かれたもので、「悲劇」と呼ばれるように劇の形になっています。
主人公のオイディプスは、神のお告げである「実の父親を殺し、母親と結婚するだろう」という予言を恐れて、遠くの国へ逃れようとします。
道中で、通りすがりの一行と争いとなり、オイディプスはその男たちを殺してしまいます。
そして、たどり着いた国で怪物を倒し英雄となったオイディプスは、国王を失った妃と結婚し、オイディプス王となります。
ここまでだと、何の悲劇でもないようですが、もうすでに悲劇の連続となっていたのです。
オイディプス王はこの後、自ら朽ち果てていきます。その様子は、現代のホラーやミステリーなどとはまた違う恐ろしさを感じる書きぶりでした。
『なぜわたしたちは0歳児を授かるのか』
実は私、2歳児と0歳児の父親でして、日々育児に悩まされています。
0歳の子はよく泣きます。2歳の子はありとあらゆるものに興味を持ち、なんでも遊び道具にします。
何が正解か分からずアタフタしている中、子どもたちはどんどん成長していき、そのスピードに驚くばかりです。
読書をするようになったきっかけのうちのひとつにも、我が子を育てる上で参考になるものがあるなら、という考えがありました。
そして、なぜか家にいつのまにかあった松居和さんの『なぜわたしたちは0歳児を授かるのか』という本を読みました。
なぜ、と言われても、そりゃぁ自然の摂理でして、と答えればお終いなのですが。
今回はそういうことではなくて、「0歳児から学ばされる」ということでした。
生まれてきたばかりの赤ちゃんはまだ何も知りません。赤ちゃんからしたら、親も極悪人(?)も同じです。目の前にいる人に頼り切るしかないのです。
0歳にして全てを受け入れ、流れに身をまかせる、言わば人間の完成形ではないかと。
そこから学ぶものは多くあると思います。私自身も、我が子に学びながら親になっていこうと思います。
「書評」とやら
はじめまして。
今日からブログを始めようと思いますmonsieur 1116です。
どうぞよろしくお願いします。
最近、自粛モードが広がっていましたので、家で出来ることは何かないか色々考えていたところ、「読書」にたどり着きました。
元々、本を読むのは苦手だったのですが、これを機にたくさん本を読んで、少しでも人生の役に立てばと思い、図書館で10冊ずつ借りてます。
そして、せっかく読むのなら何か形に残したいと思ったので、こうしてブログを立ち上げ、「書評」なるものを書いても面白いかなという経緯です。
このような記事を誰かが読んでくれるのか、はたまた、ただの自分の記録だけで終わるのか、いつもの三日坊主になるのか分かりませんが、とりあえず始めます。
ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。